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東京高等裁判所 平成6年(う)845号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人三名をそれぞれ懲役八年に処する。

被告人らに対し、原審における未決勾留日数中各八〇〇日をそれぞれその刑に算入する。

押収してある現金六九六万五二七六円(当庁平成六年押第三〇五号の6ないし12)、アメリカドル二七ドル(同号の14)、タイ王国バーツ一五〇バーツ(同号の15)、皮製赤色手提鞄一個(同号の21)、皮製こげ茶色ウエストバッグ一個(同号の22)、ネックレス一〇本(同号の23ないし28、30ないし32、39)、アンクレット一本(同号の33)、ブレスレット一八本(同号の34ないし38、40ないし43、45ないし48、50ないし54)、指輪二九個(同号の57ないし61、63、65ないし68、72、74、76ないし79、83ないし85、88、90ないし93)、ピアス七対(同号の64、75、80ないし82、87、94)、ペンダントの飾り部分二個(同号の69、71)、金塊一個(同号の70)及び金の切り屑二個(同号の86)を被害者Sの相続人に還付する。

理由

一  本件各控訴の趣意は、弁護人加城千波、同弘中惇一郎、同安田まり子、同荒木昭彦、同川口和子及び同中山ひとみ共同作成名義の控訴趣意書及び控訴趣意補充書に、これに対する答弁は、検察官藤河征夫作成名義の答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

第一  控訴趣意中、訴訟手続の法令違反の主張について

一  控訴趣意第二の一について

1  所論は、要するに、次のようなものである。すなわち、原判決は、被告人三名が、Sを殺害して金品を強取することを共謀し、平成三年七月二九日、Sの頚部を刃物で突き刺すなどして同女を殺害した上、同女所有の現金や貴金属類を奪取したとの事実を認定判示しているが、その認定根拠とするところは、被告人三名の捜査官らに対する各自白調書である。しかし、被告人三名はいずれも、捜査段階においても、自分たちに金品を強取する意思もなく、その旨の共謀を遂げたこともなかった旨述べていたのである。しかるに、内容の誤った各自白調書が作成されたのは、被告人らがタイ人で日本語に通じていないことから、捜査官らがタイ人である通訳人を介して被告人らの取調べを行ったことにある。すなわち、本件捜査に係わり合いを持った通訳人ら(以下「本件通訳人ら」という。)は、通訳能力を欠如していたものであり、そのため、捜査官らの質問や被告人らの供述などにつき、その意味を理解せず、あるいは誤って考え、自分らの勝手な解釈で文章を作って、これを相手方に伝えるということをし、捜査官等においても通訳人らの能力を知らず、十分な吟味をしないまま、通訳人らの誤訳に基づき各自白調書を作成したものである。なお、本件の場合、通訳人らにおいては、タイ語と日本語のそれぞれにつき、これらの言葉を話す能力を十分に備えていなければならないのは当然のこととして、さらに、基本的能力ないし基本的姿勢として、内容の趣旨を的確に把握する能力、通訳にどの程度の正確性が要求される場面かを客観的に判断する能力、できる限り正確に通訳する姿勢、分からない言葉があれば、調べるなり、質問するなり、通訳の質を高めようと努力する姿勢、自分の通訳能力がどの程度かを客観的に判断できる能力などを備えていなければならないところ、本件通訳人らには、基本的能力ないし基本的姿勢が十分でなく、しかも、〈1〉会話の流れ、質問の流れ、事実の流れ等全体の流れや、その時点で問題となっている主題を把握する能力が低い、〈2〉論理的な構成力が低い、〈3〉客観的な判断力が低い、〈4〉タイ語における単語能力、文章力が低いなどという問題点があり、とりわけ、通訳人T、同W、同N及び同Oにおいては、総合的にも通訳能力が欠如し、通訳人として適格性がなかったものである。したがって、通訳が適正に行われなかった結果作成された被告人らの各自白調書は、その信用性を全て否定すべきものであるから、これらを証拠として採用し、被告人らが金品強取の故意を有していたことやその旨の共謀を遂げたことの認定資料とした原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反があるというのである。

2  そこで、原審記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調べの結果を合わせて検討すると、本件当時、被告人三名はいずれも、タイ語が母国語であって、被告人Aが、日本語の単語を若干知り、いわゆる片言で多少話をすることができた外は、ほとんど日本語に通じていなかったこと、そのため、捜査官らは、被告人らの取調べに当たっては、タイ語に通じた通訳人を介することを要したこと、本件通訳人らはいずれも、タイ語を母国語とする者であったこと、通訳人T、同W、同N及び同Oが、被告人らの取調べに際し通訳に当たった回数は、それぞれかなり多数回にわたっていること(なお、被告人Aの検察官に対する各供述調書(原審検察官請求証拠番号乙第一八号ないし第二一号。以下、甲乙の番号は、原審検察官請求証拠番号を示す。)及び司法警察員に対する平成三年九月二九日付け、同月三〇日付け(二通)、同年一〇月一七日付け、同月一八日付け(二通)各供述調書(乙第一号ないし第三号、第一一号ないし第一三号)は、通訳人Nの、被告人Bの検察官に対する同月九日付け及び同月一五日付け各供述調書(乙第三二号、第三四号)及び司法警察員に対する同年九月三〇日付け(二通)、同年一〇月八日付け、同月一〇日付け、同月一三日付け、同月二〇日付け、同月二一日付け、同月一一日付け各供述調書(乙第二二号、第二三号、第二五号ないし第二七号、第三〇号、第三一号、第五六号)並びに被告人Cの検察官に対する同月一九日付け供述調書(乙第五四号)は、通訳人Wの、被告人Cの検察官に対する同月九日付け、同月一四日付け、同月一五日付け各供述調書(乙第五一号ないし第五三号)及び司法警察員に対する同年九月三〇日付け(二通)、同年一〇月七日付け、同月八日付け、同月一〇日付け(二通)、同月一一日付け、同月一二日付け、同月一七日付け、同月一八日付け各供述調書(乙第三七号ないし第四四号、第四六号、第四七号)は、通訳人Tの被告人Aの司法警察員に対する同月一〇日付け(二通)、同月一三日付け、同月二〇日付け(三通)各供述調書(乙第七号、第八号、第一〇号、第一四号ないし第一六号)は、通訳人Oの通訳を介して、作成されたものである。)などは、所論指摘のとおりである。

3  まず一般的に、刑事手続における通訳人の適格性について考えると、本件のように、被告人(捜査当時は被疑者)らがタイ語しか話せないような場合、タイ語を母国語とする通訳人にあっては、日本語に通じていることが基本的前提である。もっとも、その程度については、捜査段階においては、捜査官らの取調べも、これに対する被疑者等の供述も、犯罪に関するとはいえ、社会生活の中で生じた具体的な事実関係を内容とするものであり、特別の場合を除いて、日常生活における通常一般の会話とさほど程度を異にするものではないことを考えると、本件通訳人らに求められる日本語の習熟度や表現力も、もちろん一語一語正確にかつ文法的にも誤りなく通訳できる能力を持っていることが最も望ましいことではあるが、日常の社会生活において、互いに日本語で話を交わすに当たり、相手の話していることを理解し、かつ、自己の意思や思考を相手方に伝達できる程度に達していれば足りるというべきである。そして、捜査段階である限り、漢字やかなの読み書きができることまで必要ではなく、法律知識についても、法律的な議論の交わされる法廷における通訳人の場合と異なり、通常一般の常識程度の知識があれば足りると考えられる。また、日本語に関する能力のほか、通訳に当たって必要な能力等につき、所論が、基本的能力ないし基本的姿勢として指摘するところは、いわば完璧なものを求めるに等しく、現在多数の刑事事件で通訳の行われている実情に照らし、結局のところ、誠実に通訳に当たることが求められているというだけで足りる。もちろん、刑事手続においては、通訳人に対しても公正な態度が求められるのはいうまでもなく、捜査官に対して迎合的であったり、被疑者、あるいはその他の関係者等に対し予断や偏見を抱いたりすることが許されないのは当然である。

4(一)  右のような観点から、本件通訳人らの通訳人としての適格性ないし通訳能力についてみるに、T、W、N及びOの、それぞれ原審公判廷において証人として尋問を受けた際の各供述と、被告人らの原審公判廷における各供述、被告人らの検察官及び司法警察員に対する各供述調書の記載内容などを総合すると、右Nにおいて、日本語の表現力などにおいてやや程度が低いとみられるとはいえ、右四名とも、日常の社会生活において、日本人を相手としても日本語によって会話する能力のあることは明らかである。そして、関係各証拠によれば、本件通訳人らは、捜査官の被告人らに対する取調べに際し、自分らにおいて分からない言葉が出てくると辞書を引いたり、ときには捜査官とやり取りして捜査官の言うことを理解した上で通訳するなどしていることが認められるのである。なお、捜査官らにおいても、供述調書は、供述を要約的に録取したものであって、これに記載されている内容はかなり複雑な意味を含むものであることから、調書の読み聞けに当たっては、通訳しやすいように、その内容を分かりやすい言葉に言い換えてやったりしていたことが窺える。この点、原審公判廷において、右Tらを証人として尋問した際、弁護人らは、供述調書に記載された日本語の文章を証人らに読み聞かせて直ちにタイ語に訳すよう求めるという尋問を行っている(当審における証人尋問の際も同じ方法で尋問を行っている。)が、その訳を求めた文章自体、右のようにかなり複雑な意味を含み、日本語としても難解な内容のものであったのであるから、その尋問に対する答えにかなり誤訳の部分があっても、日常生活において日本語を用いる能力がないということを示すものではない。

(二)  また、被告人三名の検察官及び司法警察員に対する各供述調書の録取内容を、個別的にみても、被告人らが供述した内容がほぼその趣旨どおりに通訳されているものとみることができる。この点、被告人らの経歴などに関し、被告人らの原審公判廷における各供述と対比して、誤訳とみられる点も多少はみられるものの、全体的にみて、誤った通訳が行われたために、辻褄の合わない供述内容となっている、あるいは前後矛盾する内容となっていると考えられるような部分はない。そして、被告人らが人身売買によって、Sのもとで多額の借金に苦しむに至った経緯、同女に対し殺意を抱くに至った事情、被告人三名がSを殺害した具体的状況や、殺害後に同女の身につけていたウエストバッグや貴金属類を奪い取った状況などについては、被告人三名の司法警察員及び検察官に対する各供述調書に録取されている供述内容が、被告人らの原審公判廷における各供述、被告人ら作成の手紙や上申書などと概ね一致しているということは、右各供述調書が被告人らの供述を正確に録取したものであること、ひいては通訳に誤りはなかったことを示すものである。のみならず、犯行に至る経緯や犯行の状況などに関し、被告人らの述べるところには、自己の行為を正当化するような主張も含んでいるが、これらの点について被告人らの供述をことさらに歪めて通訳したような様子は一切なく、こうした通訳の様子に照らしても、本件通訳人らは、一方に偏した態度を取っていなかったこと、すなわち公正な態度で通訳に当たっていたことが認められるのである。また、例えば、Sを殺害するために被告人Aがけん銃(のちにモデルガンと分かったもの)を用意した経緯に関し、同被告人の検察官に対する平成三年一〇月一九日付け供述調書(乙第二一号)中には、同被告人が、被告人Cから「アキコ」というホステス仲間がけん銃を持っているということを聞いて、同女からけん銃を入手したという趣旨の供述が録取され、一方、被告人Cの検察官に対する同日付け供述調書(乙第五四号)中では、自分としては、被告人Aがピストルを持って来たのを見て、同被告人がアキコがけん銃を持っているということを言っていたので、アキコから借りて来たのかと思ったという趣旨の供述が録取されている。このように、被告人ら相互間において供述が食い違う場合であっても、食い違ったまま各被告人の供述内容が調書に記載されているということは、捜査官においても供述を一方的に押しつけたりせず、本件通訳人らも被告人らの述べるところを忠実に通訳していることを窺わせるのである。さらにまた、被告人三名の各供述調書中には、被告人らが、捜査官らの作成した供述調書に署名指印するにあたり、調書の記載内容を読み聞けしてもらった際、訂正の申立てをした旨の記載のあるものもある。このことは、前記のように、殺害の状況等については右各供述調書中の供述内容と被告人らの原審公判廷における各供述等とが大筋において一致していることと相まって、捜査官の供述調書の読み聞けに際しても、本件通訳人が、誤訳していないことを表しているということができる。

(三)  以上のとおり、被告人らの検察官及び司法警察員に対する各供述調書の供述内容に照らし、被告人三名がSを殺害するに至った経緯や、殺害の具体的状況、殺害後の金品奪取の状況などについて、本件通訳人らの通訳に誤りはなかったものと認められるところ、殺害に際して被告人らが抱いた意図や、被告人らの間の相談内容などに関して、これだけ別個にその通訳を誤ったと窺わせるような状況は存在しない。この点、被告人らは、いずれも、取調べを受けた当初においては、自分自身がSを殺害する気持ちになったことや、被告人らの間でSを殺そうと話し合ったことがあることを述べているのみで、Sを殺してバッグなどを奪おうなどと相談した旨述べるようになったのは、取調べを受けるようになってしばらくしてからのことと窺われる。すなわち、例えば、被告人Aの司法警察員に対する平成三年九月二九日付け供述調書(乙第一号)中では、Sを殺害する直前の状況について、「毎日毎日ボスからグズグズ言われるから三人でシメちゃおうかと話したのです」と述べた旨記載されているだけである。なお、その際の取調べに立ち会った通訳人は、前記Oである。その後、捜査官らにおいては、実際に被告人らがSの身につけていた貴金属類や七〇〇万円にものぼる現金を奪って来ていたことから、当初から金品を強取する意思があったのかどうか、被告人らの間に共謀があったのかどうかなどについて、被告人らをかなり厳しく追及したことは窺われる。しかし、被告人らが、いったんSに対し強盗殺人の犯意を抱いたことやその旨の共謀をしたことを認める供述を始めた後は、被告人三名の各供述調書に録取されている供述内容は、通訳人が異なっても、大筋において一致しており、このこともまた、本件通訳人らの通訳がそれぞれ、誤ったものでないことを窺わせるものである。なお、強盗殺人の共謀に関する供述内容はいずれも、被告人三名がSを殺害するという行為に出る前に、Sを殺害したらパスポートや金銭等を奪って逃げることにしようという相談をしたという極めて具体的で明瞭な事柄であって、同女に対する殺害の意思と金銭等の奪取の意図との先後関係によってその意思や意図の意味内容が異なるという微妙なものではなく、日常の簡単な会話ができる普通の能力を有する者ならば、誰でも容易に言い表すことができるものである。すなわち、言語の時制とか文法等を理解しているかどうかという日本語の習熟度や表現力の相違によって異なってくるというわけのものではないのである。また、強盗殺人罪の構成要件がどのようなものであるかを知っている必要のないこともいうまでもない。

なお、被告人らは、原審公判廷における各供述や被告人ら作成の手紙等において、自分たちがS殺害前に金品を強奪する旨の共謀をしていたなどという供述を捜査官らに対して行ったことは全くない旨述べているが、金品強奪の共謀等に関する供述が被告人らの各供述調書中に出てくるのは、特定の一項目においてだけではなく、犯行に至る経緯、犯行の状況、犯行後の状況などについて述べている中でも各所に出てくるのであって、全ての箇所において、本件通訳人らが誤訳をしたものとは到底考えられない。その意味で、被告人らの原審公判廷における各供述や被告人ら作成の手紙等については、この点に関し、信用することができない。

5  以上要するに、関係各証拠を総合すれば、本件通訳人らは、前記T、W、N及びOを含め、いずれも、前記3でみたような趣旨で通訳人の適格性を備えており、所論のように通訳能力を欠如していたものでないことは十分に肯認できるのである。そして、被告人三名の検察官及び司法警察員に対する各供述調書は、被告人らがそれぞれSに対し強盗殺人の犯意を抱いたことや相互間でその旨の共謀をしたことを認めている部分を含め、本件通訳人らの通訳能力などとの関係で、その信用性を失うものでないことは明らかである。したがって、右各供述調書を証拠として採用し、被告人らが金品強取の故意を有していたことやその旨の共謀を遂げたことの認定資料とした原判決には、所論指摘のような判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反はない。論旨は、理由がない。

〈以下省略。本件は量刑不当により破棄〉

(裁判長裁判官 松本時夫 裁判官 円井義弘 裁判官 岡田雄一)

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